英語が先か日本語が先か論議に明日は無い
英語教育の分野に身を置いていると、
「母国語しっかりしてから英語教育はじめる説」と「英語は言語形成期が終わる前にはじめる説」
の論議を頻繁に耳にしたり、自分でも考えたりします。
そのたびに私は、本当に問題はその論議よりさらに一つ深い所にあるのでは、と思っています。
どちらも長所と短所がありますし、どちらかが向く子供と向かない子供が必ずいるはずです。
ということはシステムはシステムでどちらが優れているか?という問題ではないと思うのです。
若林君と翼君、どっちがサッカーうまい?と聞くようなものです。
ビールとワインどっちがおいしい?
多読と精読どちらが英語が上達する?
子供にとってはそういった表面的なシステムよりも
先生がつまらなかったら、終わりです。
そもそも教育は人と人とのコミュニケーションにおいて成り立っています。
英語を教える先生がサラリーマン的なら、子供に与える影響は同じだという事です。
そもそも中学で教えてる内容で、英語は話せるようになります。
大人になって英会話する人が中学英語をやりなおして、「どうしてももっと勉強していなかったんだろう?」と口をそろえていうところをもう何度も目にしました。少なくとも私の学校では、ほとんど全員がそう感じるようです。
つまり「英語が先か日本語が先か」の議論にエネルギーを使うよりも、
「どうやって情熱のある先生を育てるか?」
「先生のトレーニングはどうするべきか?」
「先生にも留学してもらうよう奨励する」
「先生にも2年間学校から離れ社会人として働いてもらう時期を作る」
などを議論して試してみることが大事だとと私はみています。