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日本とフィリピンの子供をオンラインで定期的に繋ぐとどうなるか

日本とフィリピン全国の子ども・生徒をオンラインで繋げる奮闘記

フィリピン人との生きた英会話を体験した高校生の考える英語教育とは

ビデオカンファレンスに参加した現役高校生が、コラムとして彼の考えをまとめてくれました。

ビデオカンファレンスクラブの様子はコチラ

Video conference club ブレント(フィリピン)× 知窓学舎(横浜)セッション2回目

miossi.hatenablog.com

 

 

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田村大輔(Daisuke Tamura)
神奈川大学附属高校3年生
15歳の時にフィリピンバギオ市に一ヶ月留学。
帰国後、高校の文化祭改革や高校生国際会議への参加、Social Producers Cafe ユースを立ち上げ、代表を務めるなどをしてきた。
Start up Weekend @MSDにおいて総合2位、神奈川県高校生文化部連盟にて優秀賞獲得などの成績を残した。

 

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  「現役高校生の考える英語教育」  

 

世間ではよく語学力の低下が騒がれていますが、今回はその問題の根底にあるものについて考えていこうと思います。

 

日本における外国語教育の始まりは今から約200年前、江戸幕府の役人であった高橋景保(たかはしかげやす)の建議によって設置された「蛮書和解御用所(ばんしょわげごようしょ)」まで遡ります。

高橋景保は、日本で初めて正確な日本地図を作ったあの伊能忠敬に測量術を教えた高橋至時(たかはしよしとき)の長男で、幕府の天文方で外国の天文書を訳す仕事をしていました。彼は外国書を訳す中で「日本の対外意識の低さは将来国家の破滅を招く」と考え、天文書に限らずあらゆる分野の外国書を訳すことと、そのための言語能力育成のための機関として「蛮書和解御用所」を設置しました。

 

それから約50年後、ペリーの来航により開国することとなった日本は、諸外国と対等の立場になり植民地支配という「死」から免れるために富国強兵を、それを行う上で必須となる外国語教育の導入を急務としました。(余談ですが、ペリーとの交渉の際、筆談で通訳を行ったのは蛮書和解御用所の役人だったそうです。)  

 

上の2例からわかる通り、日本における外国語教育は「自分の身を守る」という目的から始まっています。しかし、現在の日本における外国語教育はそんな危機感からではなく、「世間が求めているから」という理由で行われているのではないか思われます。

 

実際、僕の通う神奈川大学附属高校(グローバル化に適応(笑)した生徒の教育を目指すという方針を持っている)で行われている英語系科目における各教科の割合は大体、読解6:作文2:リスニング1:英会話1となっており、大学受験を突破できてもグローバル化に適応できるとはとても思えません。

 

なぜ英語教育が大学受験のためのものとなってしまったのでしょうか?僕は「危機感の欠如」に原因があると考えます。そして僕はVideo Conference Clubの活動はこの「危機感の欠如」を補うことができると思います。恒常的に外国人と話し「自分の考えを相手に正確に伝えるためには大学受験の勉強をしているだけではだめだ」ということに気付くことが語学力を向上させようと考えるきっかけになるからです。

僕はこのVideo Conference Clubへの参加を通して、自らの語学力の低さから自分の伝えたいことの2割も伝えることができないという事実を知ることが出来ました。

 

Video Conference Clubが将来、日本の英語教育を大きく変えてくれることを祈ります。

 

田村大輔

 

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自分の意思で学ぶ

「単に世間が求ているから」ではなく、自分の原体験を通して「そもそもなぜ学ぶのか」について考え、意思をもって行動する。

文章としてまとめるにあたって、これまでの英語教育の歴史にまで遡り、現状と比較し、問題点や仮設を立てるにまで至っています。

彼は本当に大切なことを自ら学び取っています。それは単純な英語教育だけでは成しえなかったことでしょう。